essay: 2006年7月アーカイブ

無機EL広告

| コメント(2)

赤坂見附駅を歩いていたら、ぴかぴか点滅して、光る部分が
移動している広告を見つけた。かなり興味を持って、近寄ると
ほとんど厚さはなく、広告の下部に白いボックスがあり、そこから
配線がでていた。おそらく電子ペーパーか有機ELだろう、と
思って、ケータイでちょっと写真をとっておいた。

広告はクライスラーの宣伝で、エンジンのピストンなどが
エネルギーが伝わる様子みたいな感じで、点滅していた。

調べてみると、無機ELとのこと。中国のオリエントEL社商品例
の製品だという。

クライスラー ELディスプレイを使用した広告がお目見え
無機ELと呼ばれる、わずか1mmのパネルが、
1,100色以上で発光する新型ディスプレイ。

動きなどのある広告だと、目新しいのでちょっと注意が行く。
こういう面白い広告や試みが増えると、街を歩いていて
楽しくなる気がする。


mixi疲れって

| コメント(1)

たまたま、「mixi疲れ」という記事を見た。これはmixiなどの
SNSにどんどんはまっていき、依存症になっていった場合、
その中のコミュニティーでの役割を果たそう、という思いが
でてきて、それが負担になり、疲れてしまう、とのことだそうだ。

「mixi疲れ」を心理学から考える IT media
http://www.itmedia.co.jp/news/articles/0607/21/news061.html

はじめ、SNSは、友達を捜したり、あまりプロフィールを公開
していない人でも、友達の友達が公開していて、同級生、という
コメントなどがあると、芋づる式に推測していくことができて
おもしろかったり、いろんな人の関係が目に見えておもしろかったり
したが、そのうちに時間がなくなったり、面倒になったりして、
そこまでは見なくなってしまった。

今は、友達の日記が見られたりするRSSリーダー的使い方と、
あまりあわない人とのアドレス帳みたいな感じになりつつある。
いろんな人の雰囲気を垣間見ることができるという面では
おもしろいのでは、と思う。MixiやGree以外にも、いくつか
SNSには入ったものの、友達がいないとあまりアクセスする
モチベーションが上がらなく、そのままになっているもの多い。
ネットワークの法則(ネットワークはnC2でつながる)で、
ある一定以上nがないと、おもしろくないのかもしれない。

話は戻ると、mixiなどのSNSで、現実社会の自分の役割
(たとえば会社や学校など)から離れて、オンライン上での
自分を表現できる場所でもあるのにかかわらず、そこでも
何かへの帰属意識を持ってしまい、それを負担に感じて
しまうとなると、逃げ場がどんどんなくなって大変そうだ。
(もちろん、リアルコミュニティーの延長という場合もあるが。)
そうなっていくと、どんどん、バーチャル世界で、新たな自分を
作る場所を探し求めていったりするのだろうか?
リアルのコミュニティーとバーチャルなコミュニティー、
どうなっていくのだろうか。

祇園祭:宵山

| コメント(0)

今日は祇園祭 宵山。人がたくさんいたものの、宵山も
見たい、と思い、夜の京の街を散歩した(散歩と言うより
人の流れに乗った、という感じである)。


役行者山


黒主山


鯉山のあたり。人が多い。


北観音山


北観音山を斜めから。なかなかきれい。

祇園祭:宵々山

| コメント(0)

「この3連休、祇園祭だ」、ということで、京都に来ました。
今日は朝から山鉾見学。全部で32個あるという山や鉾を
一つ一つ見て回りました。夕方からお囃子。子供たちの声が
よく聞こえ、かつ、四条などは人が多すぎでほとんど歩くのが
大変なくらい。今日はたまに雷や雨が降ったりしたものの、
それが逆に涼しさを呼んでいて、炎天下よりよっぽどよい
日和だった。

鉾や山については、後日、ということで、一番メインそうな
長刀鉾の写真だけアップする。ちょうど
運良く、鉾の中にも乗れたので、乗って満足。
視点も高いし、御柱(というのかな)も見えたし、
装飾を近くで見れたり、満足。

その他、いろいろな家が、さりげなく公開していて
家の中の歴史の積み重なりや 奥深さ きれいさ
などに感動しながら京の街を散歩した一日だった。

長刀鉾:一番上にはもちろん長刀


長刀鉾:屋根の下には長刀を持った武士


長刀鉾に乗ってみる。バスの背より高く、周りがよく見える。

駅ナカ:品川

| コメント(0)

久々に品川駅に行ったら、駅ナカが充実していてびっくり
してしまった。以前からレストランや本屋さんはあったのを
しっていたのだが、「ecute」と呼ばれる一種のデパートみた
いな集合店舗ができていて、びっくりしてしまった。丸善も
あるし、カフェもあるし、ケーキ屋さんとかお菓子屋さんも
あり、お弁当も売っていて、なんでもあり、という感じだった。
人もたくさんいて、充実している気配。駅の中が本当に
ビジネス化されてきたな、と感じる。

nujde: ジェイヌード

| コメント(0)

最近、タリーズコーヒーに行ったときとかに、「nujde ジェイヌード」を
たまに読む。意外と情報があって面白い。副題が「あなたを、日本を、
いまを、ヌードする」とかなっていて、いろいろなトピックが書いてある。
対象は、「現代を生きる日本女性のためのフリージャーナル」とある
ため、話題は女性向けなのかもしれないが、なかなかちょこっと読む
のには面白かった。

以前は、お香について書いてあって、お香の流派などの解説が
あったり、今回は、小川洋子さん(「博士を愛した数式」の著者)の
インタビューや本(「ミーナの行進」)の紹介、細川元首相の妻の
細川佳代子さんのインタビューなど載っていた。

他のネタとして、「セレパ」=「セレブパーティー」などもあり、
ミーハー的な話題が合ったりして、コーヒーを片手に活字を読むの
には、なかなかいいのでは、と思う。

腕時計のカバー

| コメント(0)

先日、腕時計のカバーがとれてしまった。予兆はあった。
ある日、腕時計をつけていて、時刻を見たら、見るたびに
変わっていた。変だぁな、と思いつつ、ふと、時計にさわったら
何か出っ張ってる、とおもって見たら、針だった。いつの間に
腕時計のカバーがはずれていたのだった。しかも、長袖を
着ていた頃だったので、腕を動かすたびに針にこすれて時刻が
変わっていたのだった。

その後、たまたま家で掃除をしていたらカバーを見つけて、
再びカバーを時計につけ、ちょっとおいておいた。そして
先日、もうくっついたかな(時間がたっただけなので、物理的
に何かをしたわけではないが・・・)、と思い、その腕時計をして
出かけて見た。そうしたら、駅に着いたときにはもうカバーがなく、
使えなくなってしまった。

時計のカバーがとれると意味がないな、と思っていたものの、
先日、意味がある、ということを初めて知った。それは時計の
カバーが、ふたみたいになっていて(懐中時計が開くような感じ)、
時計の針にさわれる腕時計だった。

このカバーの開く時計は、視覚障害者向けのものであるのだ。
文字盤を手で触って時刻がわかるようになっているものだ。
最初に僕が時計の針にふれた感じで、時計にふれれば時刻が
わかったわけだ。あいにく、ふたがないために時刻が変わって
しまっていたのが良くなかっただけで、見方を変えれば針にさわれる
というのは、一つの機能なのだ、と言う風に初めて気がついた。
触覚について、あまり最近考えていなかったな、と思わされた
出来事だった。

W杯:二日連続PK

| コメント(0)

昨日、おとといと、W杯準々決勝を1試合ずつ見た。ドイツ vs アルゼンチン。
イングランド vs ポルトガルだ。ともに互角の試合をしており、見ていたら
2日連続でPKになってしまっていた。試合的には、アルゼンチンと、ポルトガルが
走って、パスしてゴールをねらうチームで、イングランド、ドイツともに、カウンターが
多い感じだった。結局、PKで、ドイツとポルトガルがBest4に進んだ。

サッカーを見ていて思うのは、泥臭く走り回っているチームはなかなか好きだな、
と感じたことだ。アルゼンチンもポルトガルも、早い位置からプレッシャーをかけ
に行くし、守るときは走って自陣にすぐ戻ってくる。その機動力を見ていると、
体力もあるし、チーム一丸となっているなぁ、と感じた。さすがに延長戦後半くらい
になると、疲れてくるようだったが120分闘い抜ける力は、4チームともすばらしい
な、と思う。

サッカーのフィールドをある部分、例えば仕事とか、ある領域での自分の位置、
などとたとえると、いろいろ深い意味があるような気がしてきて、スポーツは
見ていて楽しい。個人的に、今はなんだか泥臭く走り回ってシュートをねらい、
そして、得点をねらおうとしている位置にいる気がする。得点が入って、試合で
勝てれば、上の試合にあがる、という感じだ。そのためには90分なり、120分なり
走り回って、そしてチャンスを生かしていかないといけないな、と感じる。そういう
意味で、走り回るチームが気に入ったのかもしれない。

橋龍、死す

| コメント(0)

橋本龍太郎氏が68歳でなくなったという。あまり詳しくないのだが、
2年ほど前、国会議事堂前で、一緒に打ち水をやったので、よく
覚えていたのだ。そのときは、とても元気で、これから政界でもう
一回、何かをやるくらいなのか、と思っていた。しかし先日、引退
宣言をしていたので、健康が悪いのかと思っていたら、案の定、
そうだったようだ。政治家にはしては短命だったような気もしつつ、
一時代を担った政治家だな、と思う。晩年は秀吉ではないが、
あまり良いイメージを持たれていなかったところが、残念なところ
かな、と思ったりする。

2004年打ち水の写真は、ヒゲがアップしていた。

このアーカイブについて

このページには、2006年7月以降に書かれたブログ記事のうちessayカテゴリに属しているものが含まれています。

前のアーカイブはessay: 2006年6月です。

次のアーカイブはessay: 2006年8月です。

最近のコンテンツはインデックスページで見られます。過去に書かれたものはアーカイブのページで見られます。

2009年4月

      1 2 3 4
5 6 7 8 9 10 11
12 13 14 15 16 17 18
19 20 21 22 23 24 25
26 27 28 29 30